TD124 Mk.1の初期型の特長であるこのスピンドルボックスについての独特な音の世界に注目し、その優秀性をオーディオファンの皆様に知っていただいたのは当社が初めてであると自負しております。
今まで、修理不能と思われていたこのスピンドルボックスを完動させる事に成功し、初期型のTD124を現代によみがえらせる事ができたのです。 この事はトーレンス社の元技師スイスのジャック・バッセ氏との日本に帰ったら多くのTD124を救済するという約束の一部を果たせたと思っています。
しかし、単に初期型でプラスチックスピンドルボックスを搭載したからといって、何らレストアを施さなかった場合には機能的には合格でも音質においては失格です。 もちろん、オーディオ的にあるレベルでの話しですが。
Mk.1-EMPORIUMシリーズは専用のレストア法とファインチューニングによりプラスチックスピンドルボックスの持つ能力を最大限に発揮させ、独自の世界を現出することができました。
このスピンドルボックスの独特の音については、当社はおおいに評価しておりますが、TD124ルネサンス計画の発起人であり、開発者であるスイスのユルク・ショッパー氏はあまり良い評価を致してはおりません。
それは現在のスイスの人々の音感覚は、TD124が開発された時代の音感覚とはかなり変化しているように思われます。 私たちが美しいと思うプラスチックスピンドルボックス独特のある音に飽和的な音の消え方、空間に寄り添いながら消えていくという感覚、現在のスイスの人々の音感覚とは合いいれないものであるようです。 彼らの音感覚では音は音として存在感を保ちながら空間から消滅しなければならないという信念めいたものがあり、それはいかにも知的でクールなものです。 
しかし、我々日本人においては、昔から培って体の中に染み込んだ音の感覚、あえて意識はしないが誰もが持っている感覚、発せられた音はしじまと一体となった時、はじめて完成するという美的感覚からすればこのスピンドルボックスを搭載したTD124の再生音はきわめて自然であり、納得のいくものなのです。 もうひとつ、スイス人として我慢できないと思われるのは、このスピンドルボックスの形状の不安定さ、すなわち変形現象です。 正確さを重んじるスイス人のプライドからすれば狂わない事を前提に作られた機械の中央に不安定要素をもつ部品が存在するという事実はゆるせないようです。 
しかし、私たちから見れば非人間的な金属製の機械の中にある意味で有機的な意味あいを持つものが存在するという事柄は、何ら不自然とは感じられないし、かえって趣があると感じられるのです。 この事によって、人が傷ついたり、死んだりするわけではないので、もし変形を起こしたら安定状態になるまで修理をすれば良いだけなのですから。
スイス人と日本人のプラスチックスピンドルという物に関しての意見の相違はTD124というレコードプレイヤーにとって一面的ではない、多様な側面に光をあてる事になり、相互理解を深めることにより、新たな意義をもつ事となります。 また、スイス本国で見捨てられたこのプラスチックスピンドルボックスを日本人が愛好するという事は、きわめて痛快な話です。



<BACK>



プラスチックスピンドルボックスについての評論